院長ブログ
一年の計は元旦にあり
新年明けましておめでとうございます。本年も全力を尽くして診療に励む所存です。
元旦は一年の計と言われております。そこで私の元旦はというと…。
大みそかは紅白終了とともに最寄りの神社に出向き初詣。宮司さんの奥様によると我々の家族が一番乗りだったらしく『こりゃあ春から縁起が…。』といい気になって寝ました。初夢はいつも来ていただいている患者さんと長話して、治療に没頭する日常的なものでした。そして幼いころから元旦の朝は早起きしなくても良いという習慣から、朝はゆっくり昼近くに起きました。しかし年末からざんばらの髪で気になっており、これは何とかしないとと、前から『年中無休』の看板のある床屋に出向きました。しかし年中無休の看板はあったものの張り紙に『3日から営業』とあり唖然。『こりゃあ春から縁起が…』と、とぼとぼと帰ってきました。しょうもないなあと思いながらお屠蘇を飲んでいるうちにTVで『格付け一流芸能人』が始まりそのまま盛り上がって一日が終わったのでした。これが一年の計なのでしょうか…。
帰去来 (かえりなんいざ)
12月4日の日曜日は故郷の気仙沼に行ってきました。瀬峰から車で出発しましたので佐沼を通り、今はもうないJR気仙沼線の大谷駅を横に見ながら進みましたが、海岸沿いにはやらたらとショベルカーやクレーンばかりが目につきました。さらに階上まで進むと、それらの重機が数多くみられるばかりでなく、重機の販売店や展示場までがあるではないですか。それほど需要があるのかと驚き、5年たった今も延々と復興工事が行われているのだと思い知らされた次第です。さて気仙沼市内に入り内湾地区つまり自分の生家があった地域に近づくとその驚きは落胆に変わりました。倒壊した多くの家屋は確かにきれいに取り除かれていたものの、大半が更地のままでした。ところどころ鉄筋の建物は残っているものの『ああこれってどっかで見たことあるなあ』と思ったのは、第二次世界大戦の仙台大空襲で焼け野原になった時の写真のことを思い出したからでした。そして道路には秩序はなく、盛土もバラバラ。新しく作ってる道路と被災したままの道路が混在し、舗装もされていない道路に出たかと思えば道路標識も見当たりません。むかしは主要な建物を目印にして走行していましたが、ほとんど更地になっていますからどこをどう走っているのか全く見当がつきません。5年半たってこれではいつになったら街の姿が見えてくるのでしょう。ほんとうに限られた人数と時間と財政でこんな悲劇的な街の改修を、大自然から押し付けられた市や行政にはひたすら敬服し同情するしかありません。
そもそも被災から逃れた人たちはこの土地に戻ってくるのでしょうか。このような危険な地域に集落を作って豊かなつもりで暮らしていた我々が甘かったのでしょうか。しかし津波が来ればひとたまりもない、本当は住むべきではなかった土地かもしれませんが、ここで生まれ育った人間にして見れば大事な故郷ですから一刻も早くかつての興隆を取り戻してもらいたいですね。
「イケメン」で「時代おくれ」
もともと岸投手は西武のスカウトが若い時期からマークしてバックアップしていました。新興球団の楽天にしてみれば若いアマチュア選手にスカウトを張り付ける余裕なんかあるはずはありません。本当は岸投手も楽天に行きたかったけれど、お世話になった西武のスカウトに相当恩義を感じていたんでしょう。後ろ髪をひかれる気持ちで西武に行ったのだと思います。
そして西武に入団して1年目から大活躍。2年目、巨人との日本シリーズではMVPを取りました。スライダー全盛の時代にあんな曲がるカーブを投げられたら巨人の打者は誰だって『なんじゃこの球!?』と言って打てるわけないですね。このシリーズでは先発なのにロングリリーフでも使われ、シーズン終了後のアジアシリーズでもシーズン並みの使われ方をしました。さすがに『肩は大丈夫なのかなあ…?」と思いましたが何もなかったかのようにシーズンオフを迎えました。現楽天の与田剛ピッチングコーチが中日時代当時の星野仙一監督から、投げろと言われれば肩痛でも150キロを連発したように黙々と投げ続けたのでしょう。この年、すべての日程が終了したとき、スポーツキャスターが一年の感想を聞いたとき初めて『疲れました・・・。』とぽつりと答えてました。
そこで思い出すのは何年か前に紅白歌合戦で故川島英五さんが歌った『時代おくれ』という歌です。その歌詞には『♪妻には涙を見せないで、子供に愚痴を聞かせずに・・・・・昔の友には優しくて・・・・人の心を見つめつづける時代おくれの男になりたい。』とあります。岸投手はイケメンですが昭和のにおいを感じさせる『時代おくれ』の男なんでしょうね。
歯科医師の使命⑫
さる11月6日(日)は新潟市の朱鷺メッセで開催された日本補綴歯科学会関越支部学術大会に出席してきました。『補綴歯科』というのは簡単に言えば失われた歯をはじめとする口腔器官を修復する学問領域です。具体的には入れ歯や銀歯、ブリッジ、インプラントなどがこれらに含まれます。私はこの学会の専門医として認定されていますが、年数回ある補綴学会への出席が義務づけられているほか、専門医研修会も参加するようになっています。今回は北関東と新潟の大学主体の学会です。
午前の学会では大学の若い先生がたが新しい研究の発表を緊張した面持ちで口演していましたが、つい30年前の自分を思い出してしまいます。午後の専門医研修会は『超高齢化社会の歯科補綴の役割とは』をテーマに東京都健康長寿医療センターの渡邊裕先生が『オーラルフレイルの現状と歯科補綴の役割』、新潟県佐渡市、渡部歯科医院の渡部守先生が『地域患者の生活を支える歯科補綴を目指して』と題し講演しました。主な講演内容は、もともと人間はよく噛むことができないと認知症に進んでいくということはよく言われてますが、口腔機能が低下すると(食べられないと)栄養不良に陥り、体の機能が衰え(フレイル)認知機能が低下し、さらに食べることができなくなりもっともっと栄養不良になりと、どんどん負のスパイラルに陥ってしまうしまうということです。さらに歯がないと食べられないことはもとより『見た目』が悪くなり、人と会うのを避けるようになり、やがて社会性を失って認知症に進んでしまうということです。こういった内容は何度もブログに書いていますが、どこでも聞かされる超高齢化社会の共通の命題なんですよね。
ところで会場の朱鷺メッセは高層ビルで最上階からは日本海が見えました。仙台は快晴でしたが新潟の海は突風で波が荒く雲やもやが沿岸に迫っておりました。『この巨大なグレーの壁の向こうに韓国や北朝鮮があるのか・・・。』と思うと、子供のころから太平洋ばかりを見て育った自分にとっては異国を思わせる景観でした。
歯科医師の使命⑪
介護保険は医療保険と同様にかかった費用の何割かを保険で払ってもらう仕組みです。しかし医療保険と大きく違うのは、その人の介護の手間の大きさによって保険で払ってもらえる限度額が違ってくることです。例えば歯医者だったらどこまで治してもかかった医療費に対してその人の負担割合(1とか3割等)を支払えば良いのですが、介護保険では介護の手間(介助)が多い人ほど限度額が高くなってきます。この介護の手間の程度を表すレベルが軽い人から要支援1、2、重くなるにつれ要介護度1から5となっていきますが、これを決定するのが各自治体が開催する介護認定審査会です。構成員は医師、歯科医師、薬剤師、看護師、介護福祉士、ケアマネジャーなど主に医療、福祉関係者です。
介護認定を申請すると調査員が出向いて身体や介護の状況を調べそれを莫大なデータを持つコンピュータが機械的に1次判定をし,それを人間である我々審査員が最終判断します。この判断がその申請された方の支払い限度額を決定しますから、審査する側としては相当慎重になりますが、それよりもその調査内容を拝見するにつけ介護の大変さ難しさを痛感させられることの方が大きいですね。