院長ブログ

2018-05-19 14:26:00

帰去来Ⅲ

201805192334345266.jpg201805192334345266.jpg

 連休後半は気仙沼に行ってきました。
これまで復興の道筋がよく見えていませんでしたが、今回は何となくその進み具合が見えたように感じました。相変わらず更地が多いのは変わっていませんが、特に内湾地区では道路は最少限に収束し、道路沿いに商業施設が姿を現し住宅地は特定の地域にまとめられてきたような気がします。
 また気仙沼の震災復興の旗印として進められている大島架橋は、その下をくぐるクルージングが思わぬ人気を呼び、この連休中は常時の1.5倍の需要があったそうです。やはりそのでかさが半端ないのでしょうから、多くの観光客の皆さんに来てもらいたいと思いますね。それと最近は三陸縦貫道の建設が超突貫工事で進んでおり、地元の有力者のお話では復興のため30年は前倒しして工事が進んでいるということです。今回も瀬峰への帰途は三陸道を利用しましたが、かつて子どもの頃海水浴に行くと言って父親に大谷海岸へ車で連れて行ってもらったとき、そこに着くまでのおよそ1時間近い長い道のりをワクワク感で楽しかったのに、なんと10分余りで着いてしまいました。隔世の感そのものですね。
 さらに縦貫道は気仙沼の内湾をどでかい橋で渡るそうです。これだとクルージングの見どころが増え汽船会社としてはウハウハですね。もっとも大島への橋が完成すれば交通手段としての汽船の役割が激減しますが、クルージングとしての活路を見出してほしいですね。
 写真1枚目は大島架橋を見に行く遊覧船が出発するところを旧気仙沼女子高付近から見たところです。2枚目は整備されつつあるその汽船の桟橋付近から見た実家周辺です。左手が私が出生した森産婦人科医院(津波で流されなかった!?)で、右手は気仙沼出身としては近年最大の有名人(さてどなたでしょう?)の実家である旅館です。こんど行くときには更なる変化が起きていることでしょう。

2018-05-09 14:24:00

何れ菖蒲か杜若…もとい、何れ桜か藤の花

201805092320378193.jpg

  桜が散り緑が濃くなる5月に入ると瀬峰周辺では藤の花が咲き乱れます。瀬峰は特に藤の里とも呼ばれるほど周辺の藤の咲きっぷりは見事です。桜とは違い花の色が紫なのであまり派手ではないですが、枝から垂れ下がる藤の花は近くに寄れば寄るほど、花としての個性が光ってきます。
 藤と言えばなぜか女形の梅沢富美男や八乙女太一が舞台で踊るとき、桜の枝を片手にかんざしとして頭にさしているイメージがあります。吊るすっていうか。
 子どもの頃グレープフルーツが夏みかんみたいな柑橘系の果物なのになんで『グレープ』なのか不思議でしたが、どうやら枝にまるでブドウのように密集して実が成るからだそうです。そうしますとブドウの房のような花がたくさん垂れさがって連なる藤はさしずめ『グレープフラワー』でしょうね。
 藤の花は明るい色の桜と比べると明度が低いので遠目に見ると余計目立ちにくく感じます。やはり周辺の山々全体が薄紫の藤色で全て覆われるほどもっともっと藤で埋まってもらいたいですね。よく『何々の里』という名所は大体『何々だらけ感』満載ですから、瀬峰が藤の里というなら藤の木はもっと増やすべきですね。そう思います。
 そりゃあなんたって私の苗字は『藤を加える』つまり加藤ですからね。

2018-05-07 14:23:00

芸術か 第二芸術か

201805081133108831.jpeg

 ゴールデンウィーク前半は用事があって東京に行ってきました。
 以前東京の知人が、『GWは東京の人間がみんな地方の行楽地に行ってるから誰もいないんだよ』とのたまっていたので、じゃあちょっと観光してみようかなと東京国立近代美術館工芸館で開催されている工芸館開館40周年記念所蔵作品展「名工の明治」をのぞいてみました。国立近代美術館工芸館というくらいだから近代的なビルに囲まれたアーティフィシュアルな環境にあるものとお思いでしょうが、実は旧近衛師団司令部を改装した建物の中でした。太平洋戦争以前から近衛師団は存在していましたので、物々しいイメージを連想しましたが実際には外観だけで中は全く普通の美術館でした。
 さて、工芸品は昔から「工芸」であり「芸術」ではありませんでした。一時期日本ブームの時代もあり組織的に展示された時もありましたが、かつて俳句が桑原武夫に『第二芸術』と揶揄されたように、どうしても芸術とは認められてもらえず、やがてちりじりになってしまいました。しかしその地位もいまでは少しずつ向上しこのような近代美術館に集積され展示の運びとなったようです。
 展示してある作品は明治時代の名工たちが製作した彫金、花瓶、壺、屏風、木工品、皿、箱、着物、掛け軸、籐の椅子などなど多岐にわたっていました。どれも『これで芸術では無いのか!?』と驚嘆するものばかりでしたが、特に目を引いたのは本展のポスターにも使われている鈴木長吉氏作の「十二の鷹」でした。これは様々な金属を組み合わせたり鋳造や彫金、あるいは組み立てなどで作った大きさ約50センチ四方の12匹(台)の鷹です。さすがにこれらを見た瞬間その写実性の見事さ、精巧な技法、とにかくリアルな形に圧倒され開いた目と口がふさがりませんでした。
 我々の歯科治療は現在でも金属で製作した銀歯に頼っていますので、金属だろうがなんだろうがほとんど生体の形に近い義歯を作らなければ歯医者の仕事とは言えないのではないかと実感させられました。それにしても「十二の鷹(ホークス)」は良いですが、われらが鷲(イーグルス)はどうなってんでしょうね・・・・・。

2018-04-01 14:18:00

さくら

201804012325363604.jpg201804012325378864.jpeg
 今日の昼はとある公園にお弁当とビール持参で桜を見に行ってきました。その昔、盛岡での大学時代は花見と言えば部活が終わった後や仕事が終わった後の夜の時間に行く夜桜見物しか経験がありませんでした。その時期の夜の盛岡はとても肌寒く「何でこんなことが楽しいんだろう」と内心グズグズ思いながら飲んでました。ですから花見にはいい印象はなかったのですが、今回久しぶりで昼、しかも日が照っていたので「あれ?結構辛くないなあ」と花見のイメージも少し変わった次第です。
 もちろん宮城県の開花予想はまだ先ですので、今日の桜は1~2分咲きってところでした。それでも家族連れやカップルがそこそこに見られ、それなりにみなさん盛り上がっていました。
 そもそも日本人にとってこれほど時節に関わっている花もありませんね。桜はそんな特別な花ですので、桜に思いを込めた「さくら」という曲もたくさんあります。森山直太郎からはじまりケツメイシ、あと河口恭吾ですね。いきものがかりのSAKURA(でも個人的にはシェネルがカバーしたSAKURAのほうが好きですが)、ボカロの初音ミクの千本桜、そして海外では大御所ハリー・ベラフォンテのSAKURA SAKURA(いやー古い古い)…とまあよくありますね。これと比べるとほかの花の名前で歌われている曲なんてここまでではないですね。「梅」の歌なんて都都逸以外では聞いたことないですから。
 ところで最近聞いた話では結婚や結納の場には桜茶を出すのは「花開く」ので縁起がいいからだそうです。逆にふつうのお茶は「お茶を濁す」とか言って縁起が良くないらしいです…。
 さて今年も瀬峰さくら祭りが近くの五輪堂山公園で4月21日(土)に開催されます。今年のゲストはパンサーとゴージャス(おー懐かしい)のようです。パンサーと言えばそのテーマソングとともに愉快な「ピンクパンサー」を思いだしますが、そう言えばこのキャラ、全身桜色でしたね。
2018-03-21 14:17:00

歯科医師の使命⑳

201803231632347757.jpg
 本年2月に日本補綴歯科学会専門医の更新が認められ、認定証が3月に届きました。
 初めて補綴歯科学会の専門医(当時は認定医という呼称でした)として認定を受けたのは今から約30年前でした。この資格は有効期間が5年間なので、5年たてば更新の手続きをしなければならず、でなければ失効してしまいます。さらに更新するためにはこの5年間に補綴歯科学会をはじめとする指定の学会に決められた回数以上出席し、指定された学会で学術発表をするか、学会誌に論文を提出し掲載されなければなりません。今回もこのようなハードルをなんとか飛び越えて専門医の資格を更新することができました。
 意外とご存じない方も多いのですが、もともと歯科は口の中とその周辺の疾患全般をまんべんなく診ますが、口の中でも様々な分野がありその分野ごとに学会が存在し,その学会で認められればその分野の専門医であると認定されます。私の専門とする補綴歯科学をわかりやすく言えば、失った歯や顎に対して通常人工の義歯(取り外しの入れ歯やブリッジ、銀歯、白い歯などのかぶせる歯)を装着することによって咀嚼機能(食べること)や審美性(見た目)を回復することを研究目的とする学問領域です。ですから私はそういった義歯を装着する専門医ということになります。
 そのほかにも歯周病や口腔外科、小児歯科、歯科麻酔、放射線などの領域において、それぞれの学会が専門医を認定しています。確かにホームドクターであれば全ての領域を一通り診なければなりませんが、全部の領域でスペシャリストであることはきわめて困難です。そこでそれぞれの領域に専門性を持った歯科医師がいれば、より高度な診療を提供することができるようになります。
 さて、自分としては、入れ歯は自分の歯には絶対及ばないにしても、専門医と言うならばもうちょっと入れ歯でなんでも食べれるようにできないものかと苦悩する毎日です。