院長ブログ

2020-04-06 00:07:00

赤系フード

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  新型肺炎にはとても困っています。
 感染予防のため最近は外出を極力避けるようにしてますので外食はしないので内食がほとんどです。それはそれで対応してますが、家の食品や調味料をよくみるとあることに気がつきました。それは『赤が多い』ことです(写真)。食品や調味料に赤系が多いのは食欲が関係してるみたいです。さらにスポーツの世界では赤いユニフォームのチーム(選手)は有意に勝つ確率が高いというデータまでもあるそうです。逆に青色はそうではないようです。ふーん、ですね。
 どうやら原始の時代から肉や魚は赤が主体なので、それらを食べるのは当たり前だけど青色の食物なんて滅多に出会わないのでためらいが出るからではないかということらしいです。確かにウチにある食品で青いパッケージと言えば昔ながらのアジシオの容器だけですし、スパゲッティのソースがもし真っ青だったらかなり引きますよね。色彩心理学によると赤は食欲を促進させ青色は減退させるようです。スポーツでは赤だと闘争心がよりかき立てられるそうです。色の種類によって人間の感覚に与える影響も様々で、例えばピンクだと「不安を和らげ気持ちを優しくしてくれる」という効果があるみたいです。ちなみに当医院のスタッフのユニフォームはピンクです。
 またヨーロッパなどには色ではなく、植物の精油による匂いによって病気の症状を和らげたり、ストレスの緩和やリラックスを目的としたアロマテラピーという伝統療法があります。フランスでは通常の服用薬同様、薬剤師がフレグランスを処方し患者さんの美や健康に役立っているそうです。
 さてコロナウィルス。阪神の藤浪選手や、森三中の黒沢さんは味覚も嗅覚も感じなくなったそうです。このような人間としての感覚まで狂わせるとは本当に悪どいですね。絶対感染予防を心がけ負けないようにしましょう。

2020-03-27 00:04:00

帰去来Ⅹ(後篇)

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(前編)の続き
 その次は大島最南端にある竜舞崎に行きました。気仙沼には似たようなロケーションの唐桑に御崎がありますが、それと比べて竜舞崎は観光地として今まで車で来ることが一般的ではないため、駐車場、飲食などのキャパシティが小さいですね。
この日の竜舞は突風にもかかわらず海面は穏やかでした(写真1)。寒かったの突端までは行かず、灯台周辺の写真を撮って(写真2)、来る時と反対側の海岸線を通り浦の浜を経由して大島大橋を内陸方向へと渡りました。
さて、大島はこれからも今まででは想像できない多数の観光客が車で観光に来るでしょう。ですから受け入れの体制(大規模な駐車場や施設とか)を整えざるを得ないでしょうが、ホテルや道の駅より民宿や遊歩道のままでいい気がしますね。プーケットはアンダマン海、モーリシャスはインド洋の真珠と言われているようにいずれ大島が太平洋の真珠と呼ばれてみたいです。
橋を渡った帰りは来た道を戻りましたが、今度は三陸自動車道となる建設中のどでかいブリッジが目の前に現れます(写真)。今さっき大島大橋を渡ってきたばかりなのに、今度は縦貫道ですか---。あまりの壮大さにまた絶叫しました。高級寿司屋でお寿司を食べたと思ったらすぐ盛岡の激ウマ冷麺が出てくるような、『恋つづ』ダイジェスト見たらすぐ『テセウスの船』の犯人検証番組が始まるみたいなあまりにもビッグインパクトが連続するので驚きだらけでした。いい意味でこれから気仙沼はどうなるのでしょうね。早く気仙沼湾の大架橋を走ってみたいです。

2020-03-27 00:02:00

帰去来Ⅹ(前編)

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 春分の日はお彼岸でしたので気仙沼に帰ってきました。風が猛烈に強かったのですが、大島大橋を渡って大島まで行ってみることにしました。開通当時は大橋までの道標が少なく悪評を買っていましたが、この日はそんなことはなくスイスイ行くことができました。
 大学病院勤務当時、鹿折地区にある光が丘保養園という病院の歯科に出張で通ってましたが、あらかたその方向へ進んだもののいきなり高架となり、光が丘を眼下に見ながら進む新道路にびっくり。 やがて大橋の手前に到達し(写真1)、その威容に2度びっくり。この素朴な地域にこんな巨大な建造物ができるなんてどうしたって実感が湧きませんね。
大島と言えば幼少の時から遊びに来てましたが、まず実家の近所の船着場から汽船で大島に渡り、バスに乗り換え小田の浜海水用場で泳ぐか、船着場のそばからリフトで亀山の頂上に向かうと言うパターン。家から近い割には手間がかかり、行って帰ってくるだけで一つのイベントを完結するようなところでした。それがもう車で楽勝ですからあっけなさに気が抜けました。ですから絶叫しながら橋を渡って振り返ると(写真2)気仙沼市街が容易に眺めることができてこれも何とも言えぬ不思議な感覚でした。
 そこから道なりに進むと、かつて汽船の船着場だった浦の浜に出ました。大島の玄関口でしたから汽船の券売所やお土産屋さんの建物が立ち並んでいたはずなのに、津波で流され、汽船も廃止になってますので今は道路一本だけになってました…。もちろんバスの乗り場もなく、まるでつわものどもが夢の跡…。
次に向かったのは夏となると子供の頃から医局員時代まで通った小田の浜海水浴場です。ただの海岸線が続く中で「小田の浜駐車場」の看板を見つけて驚き。その周辺は小田の浜海水浴場だったはずですが海の家は皆無で、砂浜は消滅、もう海水浴場の体をなしていないただの海岸でした(写真3)。津波でみんな持っていかれたんでしょうかね---。結構ショックでした。
(後編)に続く

2020-03-11 00:00:00

またこの日

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 今日は気仙沼の実家に米を送るために向かいのA コープさんにある精米機(写真1枚目)で精米し、隣のセブンイレブンさんで発送してきました。 いつも思いますがここはとても恵まれた環境です。最近は玄米食が多いですが、栗原のお米は美味しくて、挽きたてのご飯は最高です。
 しかし…こんなことはなんでもないいつもの当たり前のことですが、それが幸せなことなんだと思い知らされたのは9年前の今日です。あの時はご飯さえ炊けませんでした。また実家といっても自分が生まれ育った気仙沼の生家は、震災の津波で流されて今は存在しません。その土地は更地となりそして現在は災害復興住宅が建っています。村井知事さんは先日の会見で、「見えるところ(建物、インフラ)での復興はほぼ終わっていると思うが、心の復興はまだまだだ。」と言ってましたが、まさにその通りですね。心のよりどころを失った虚無感は一生続くことでしょう。
 写真の2枚目は、震災直後倒壊した実家から着の身着のまま持ち帰った窓の桟です。自分の「家」の形を残すものは今はこれしかありません。いまだに実感がわきません。

2020-03-07 23:54:00

青息吐息

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 新型肺炎の勢いが収まりません。その影響があらゆるところに及んでいます。
 我々の歯科医療にとっても深刻です。当医院では1月に中国で謎の肺炎が流行し、中国からの観光客が成田空港でマスクを買い占めたと言う情報が出たとき、とっさにSARSのことを思い出しマスクの長期使用分を発注しました。運良くすぐ入手できたものの、その1週間後には在庫はほぼ無く、入荷は未定という知らせが入り絶句しました。今も入手不可です。当面現状でやりくりできるかもしれませんが今後どうなるか、予想がつかず困った状況です。
 さらにSARSの時はマスクだけでしたが、今回は消毒用アルコールが不足してるのにはあ然としてます。SARSのときも手指消毒用のポンプ式アルコールはある程度不足しましたが、今回は医療用の消毒用アルコールまでが入手不可となっています。当医院では院内の器具や手指の消毒にはアルコールとウィルスに対して効果的なAP水(中性電解水)を併用してますので、アルコールが途絶えたとしても対応できますが、AP水は取り扱いが繊細なため我々の負担が増します。かと思えば我々が日常使用している医療用手袋(グローブ)までもが不足していると言うでは有りませんか。市井の感染症であらゆる医療がここまで脅かされるのは全く初めてではないでしょうか…。ほんとに驚きです。新型肺炎の一刻も早い収束を願っています。