院長ブログ
勝てば官軍、負けても…。
見ました。夜中の3時に起きて。当然でしょ。興奮しました。2点も先制して。誰だってもしやと思ったでしょ。野球と違っていっぺんに2点入らないし。でも昔から勝ったと思ったら負けるって。長友選手だって2ゴールしたらベスト8を想像したって。美空ひばりさんの「柔」だって言ってるもんね。『勝つと思うな、思えば負けよ』って。でも残り40分で3点取られないさ、と思ったけど最後のカウンターは9秒だって。そりゃあ世界ランク3位だしね。今や黄金世代のベルギー。こっちはランク61位。あー悔しいなーもう―!乾選手の無回転の2点目入ったときは、『日本をバカにすんじゃねえ!!』と涙が出たけど。アディショナルタイムにベルギーが3点目入れたときは、目も口も耳も貝になりました。ポーランドの時は『何が悪いの?戦略でしょ?でも黙らせるにゃベルギーに勝てばいいじゃん。』と誰でも思ったからメチャメチャ応援したけど…。勝てば次はネイマールのブラジルだったし。ブラジルに勝てば次はエムバぺのフランス(たぶん)だったし。あー!も―!!でも日本よくやった。最高だった。世界が称賛。次のカタールはクリンスマン監督でやるぞー!!
帰去来Ⅳ
既に建物は完成したので引き渡しはもう済んでおり、今は内装の飾りつけやソフトの構築、従業員の研修等でてんやわんやらしいです。すべてのフロアーを見せてもらいましたが新築なので木の香りが新鮮で「ほんとに新しいホテルなんだなあ」と実感しました。和室あり洋室あり、レストランは宿泊客専用で前のホテル当時絶賛されたスタイルを踏襲し、気仙沼ならではの海鮮中心の料理となるのでしょう。また、一般のホテルでは珍しく屋上にも出ることができて、海自体は見えませんがなんと大島の亀山が見えるではありませんか。そして評判の大島架橋のアーチがくっきり。さらに三陸縦貫道の今まさに気仙沼湾をまたごうかというところまで来た高架の道路まで見えました(写真)。これなら夏の夜、この屋上でビアガーデンやパーティをしてみたいもんだと期待してしまいました。特に8月は気仙沼みなと祭りが開催されますし、内湾では花火が打ち上げられますから宿泊のお客さんたちには喜ばれるでしょう。
河北新報によりますと、2017年の気仙沼地区の観光客は前年比30%以上の増加があり、ほぼ震災前の水準に戻ったらしいです。もちろんもっともっと増加するようですのでホテル磯村もにぎわうことでしょう。ただその宮城県の観光客数は昨年ほぼすべての市町村で前年を上回った様ですが、唯一減少したのは我が栗原市だったそうです……。今日14日は岩手宮城内陸地震からちょうど10年目の日です。もうその影響は少なくなったと思いますがより多くの皆さんに栗原市に来てもらいたいですね。
帰去来Ⅲ
連休後半は気仙沼に行ってきました。
これまで復興の道筋がよく見えていませんでしたが、今回は何となくその進み具合が見えたように感じました。相変わらず更地が多いのは変わっていませんが、特に内湾地区では道路は最少限に収束し、道路沿いに商業施設が姿を現し住宅地は特定の地域にまとめられてきたような気がします。
また気仙沼の震災復興の旗印として進められている大島架橋は、その下をくぐるクルージングが思わぬ人気を呼び、この連休中は常時の1.5倍の需要があったそうです。やはりそのでかさが半端ないのでしょうから、多くの観光客の皆さんに来てもらいたいと思いますね。それと最近は三陸縦貫道の建設が超突貫工事で進んでおり、地元の有力者のお話では復興のため30年は前倒しして工事が進んでいるということです。今回も瀬峰への帰途は三陸道を利用しましたが、かつて子どもの頃海水浴に行くと言って父親に大谷海岸へ車で連れて行ってもらったとき、そこに着くまでのおよそ1時間近い長い道のりをワクワク感で楽しかったのに、なんと10分余りで着いてしまいました。隔世の感そのものですね。
さらに縦貫道は気仙沼の内湾をどでかい橋で渡るそうです。これだとクルージングの見どころが増え汽船会社としてはウハウハですね。もっとも大島への橋が完成すれば交通手段としての汽船の役割が激減しますが、クルージングとしての活路を見出してほしいですね。
写真1枚目は大島架橋を見に行く遊覧船が出発するところを旧気仙沼女子高付近から見たところです。2枚目は整備されつつあるその汽船の桟橋付近から見た実家周辺です。左手が私が出生した森産婦人科医院(津波で流されなかった!?)で、右手は気仙沼出身としては近年最大の有名人(さてどなたでしょう?)の実家である旅館です。こんど行くときには更なる変化が起きていることでしょう。
何れ菖蒲か杜若…もとい、何れ桜か藤の花
桜が散り緑が濃くなる5月に入ると瀬峰周辺では藤の花が咲き乱れます。瀬峰は特に藤の里とも呼ばれるほど周辺の藤の咲きっぷりは見事です。桜とは違い花の色が紫なのであまり派手ではないですが、枝から垂れ下がる藤の花は近くに寄れば寄るほど、花としての個性が光ってきます。
藤と言えばなぜか女形の梅沢富美男や八乙女太一が舞台で踊るとき、桜の枝を片手にかんざしとして頭にさしているイメージがあります。吊るすっていうか。
子どもの頃グレープフルーツが夏みかんみたいな柑橘系の果物なのになんで『グレープ』なのか不思議でしたが、どうやら枝にまるでブドウのように密集して実が成るからだそうです。そうしますとブドウの房のような花がたくさん垂れさがって連なる藤はさしずめ『グレープフラワー』でしょうね。
藤の花は明るい色の桜と比べると明度が低いので遠目に見ると余計目立ちにくく感じます。やはり周辺の山々全体が薄紫の藤色で全て覆われるほどもっともっと藤で埋まってもらいたいですね。よく『何々の里』という名所は大体『何々だらけ感』満載ですから、瀬峰が藤の里というなら藤の木はもっと増やすべきですね。そう思います。
そりゃあなんたって私の苗字は『藤を加える』つまり加藤ですからね。
芸術か 第二芸術か
ゴールデンウィーク前半は用事があって東京に行ってきました。
以前東京の知人が、『GWは東京の人間がみんな地方の行楽地に行ってるから誰もいないんだよ』とのたまっていたので、じゃあちょっと観光してみようかなと東京国立近代美術館工芸館で開催されている工芸館開館40周年記念所蔵作品展「名工の明治」をのぞいてみました。国立近代美術館工芸館というくらいだから近代的なビルに囲まれたアーティフィシュアルな環境にあるものとお思いでしょうが、実は旧近衛師団司令部を改装した建物の中でした。太平洋戦争以前から近衛師団は存在していましたので、物々しいイメージを連想しましたが実際には外観だけで中は全く普通の美術館でした。
さて、工芸品は昔から「工芸」であり「芸術」ではありませんでした。一時期日本ブームの時代もあり組織的に展示された時もありましたが、かつて俳句が桑原武夫に『第二芸術』と揶揄されたように、どうしても芸術とは認められてもらえず、やがてちりじりになってしまいました。しかしその地位もいまでは少しずつ向上しこのような近代美術館に集積され展示の運びとなったようです。
展示してある作品は明治時代の名工たちが製作した彫金、花瓶、壺、屏風、木工品、皿、箱、着物、掛け軸、籐の椅子などなど多岐にわたっていました。どれも『これで芸術では無いのか!?』と驚嘆するものばかりでしたが、特に目を引いたのは本展のポスターにも使われている鈴木長吉氏作の「十二の鷹」でした。これは様々な金属を組み合わせたり鋳造や彫金、あるいは組み立てなどで作った大きさ約50センチ四方の12匹(台)の鷹です。さすがにこれらを見た瞬間その写実性の見事さ、精巧な技法、とにかくリアルな形に圧倒され開いた目と口がふさがりませんでした。
我々の歯科治療は現在でも金属で製作した銀歯に頼っていますので、金属だろうがなんだろうがほとんど生体の形に近い義歯を作らなければ歯医者の仕事とは言えないのではないかと実感させられました。それにしても「十二の鷹(ホークス)」は良いですが、われらが鷲(イーグルス)はどうなってんでしょうね・・・・・。