院長ブログ
歯科医師の使命⑯
さて近年子供たちのむし歯保有率はどんどん低下しています。文部科学省によりますと(2016)、ここ約10年間では12歳児のむし歯保有数が約2本から約1本へとかなりのスピードで減少しています。これは大いに評価されるべきでしょう。ですから昭和の時代に、夏休みになると学校から渡された健診票を持って歯科医院に子どもたちが押し寄せたことなど少子化も相まってまさに遠い昔のことですね。
ではこれで子供たちの歯の健康は安心できるのかと思いきや必ずしもそうではないような気がします。どうも子どもたちの口の中も『二極化』が進んでいるようです。先日の神戸新聞によりますと虫歯の多い子は家庭の経済的な問題で治療されていない場合が多いと、経済的格差による治療の有無が指摘されてました。しかし問題はむし歯が発生する過程や原因であって、むし歯ができたらお金をかけて治せばよいという結果論的な議論ではないと思います。実は中学校の健診などでは一人平均のむし歯保有数が平均1~2本ですから、たとえば1本の子がいたかと思えば0本の子がいてその次に2本の子がいるというのではなく、ほとんどむし歯の無い子が続いたかと思えばいきなり10本虫歯を持っている子がいるという極端な状況が必ず見受けられます。そうしますとやはりそういう格差的なむし歯の子を平均的な水準に引き上げてあげなければ歯科健診している意味がないと思います。
以前書きましたが(2016.4.14)、極端にむし歯の多い子には、その背景や生活環境に是正すべき点がかなりの確率で存在します。我々の健診がそういう歯そのものの健康だけではなく、その子に関連した周辺の環境改善に何とか役に立ってもらいたいものです。
帰去来(Ⅱ)
ゴールデン・ウィークは気仙沼に行って来ました。自分の生家のあった周辺と内湾の名物建造物であった気仙沼女子校校舎跡に災害復興住宅ができたと言う事でそれを見て来ました。さすがに復興住宅は仮設住宅とは違いマンション形式でスマートなうえ頑丈そうでした。ただ全ての部屋が埋まっているようでは無いので、これほど家が失われているのにみんなどこへ行ったんだろう、この辺に住んでいた人たちは帰ってくる予定があるのだろうかと懐疑的な気持ちでした。
天気が良かったので子供の頃よく遊んだ裏のお墓山に登り、そしてのどが渇いたときはよく水を飲みに来た菩提寺である法玄寺から船着場周辺の市街地を見下ろしました(写真)。その様子は気仙沼の内湾の象徴とも言えた街並みが更地状態を呈し全く新しい街のイメージが想像できない景観でした。
その次に、いま大きな話題をさらっている気仙沼大島の架橋を見に行きました。と言っても近くまで行ったわけではなくアーチが見える鹿折の鶴ヶ浦方面あたりまでです。大島架橋は内陸と島のもっとも至近距離の地点に建設されています。そこは街からは結構遠いのですが巨大なのでよく見えました。もともと50年以上前から市民(島民)の夢でしたが、なかなか思う様に話が進まず、地元選出の国会議員さんの努力もあり実現に向けて話が進んでいました。そこに震災が降りかかり復興を旗印に三陸縦貫道とともに一気に工事が加速したようです。
もう一枚の写真がその大島架橋の遠景ですが、手前に見えているのは実は大津波対策としての工事中の防潮堤です。こんな広い海に何メートルもある高さの防潮堤を建設することの方がよほど果てしない夢のような気がします。そして震災の津波で失われた地域が復興するのはいつになることやらと、その将来像は遠くに見える架橋のアーチのさらにもっと遠くにある印象でした。
花一輪
毎年この時期になりますと、当医院の植栽の塀の陰にチューリップが1輪咲きます。なぜここに咲くようになったのかは不明です。チューリップと言えば種ではなく球根ですから小動物が運んできたなんて考えられませんしねえ。どこからか転がってきてこのマス目の中に埋まったなんてもっと考えられません。まあ色鮮やかな花なので悪い気はしませんが、いつもほっといておくので枯れてしまいます。でも翌年はきちんと咲いてくれるので『悪いねえ』と思いながらも何年も過ぎてる次第です。ちょうど今の時期はみちのく杜の湖畔公園でチューリップが見ごろで昨日のニュースではその数10万本!だということで相当見ごたえがありそうです。当医院のチューリップもあたりが殺風景なのでかなり目立ってはいますが…。
さてこの花の球根はどこから来たのかということで思い出すのは子供のころ庭で育てた植物の話です。小学校低学年の夏休みの宿題で朝顔の栽培をしたその延長で、毎年種を蒔いては夏に花を咲かせるのが好きになった時期がありました。家の中庭で畳一畳程度の花壇でしたが、多い年はすみれ、ひまわり、コスモス、ホウセンカ、その他諸々ぎゅうぎゅう詰めに栽培するようになりました。おかげでチョウチョウやカブトムシ、ミツバチなど飛んで来て、1人楽園気分を味わったものでした。ところが夏休みのある日、植えた記憶の無い葉っぱが生えてきて、まあいいやと思っているうちにどんどん大きくなってきました。雑草の雰囲気ではなくなんか太い根っこが見えてました。家族に聞いてみると『どう見てもゴボウだな。』と言われ、『えー!!ゴボウ!!植えてねえよ!!』と愕然としました。いったいどこから来たのでしょうね。今だに不思議です。 秋になり葉っぱもしなびてきたのでぐっと引っ張ったら、簡単にコロンと出てきた根っこはやっぱりゴボウでした。
ところで子供が欲しいものがあって駄々をこねてぐずぐず泣いていると『いつまでごんぼう(ゴボウ)掘ってんだ!』と親に叱られているのを見たことがありますし、自分も言われた経験があります。東北の方言でゴボウを掘るのは手間がかかってぐだぐだするからというのに由来しているらしいのです。しかしこのゴボウはあまりにもすぐ抜けたので、自分の仕事がなかなか進まないときは逆に『早くごんぼう掘るぞ!!』と言いきかせますかね。
Over the Rainbow
虹は空気中の雨滴に光が当たりその屈折によって見える光学的現象です。見てる人とは角度的な位置関係にありますが距離的な位置関係にはないので、いくら虹の方向に向かって行っても触れることはできないのは言うまででもありません。昔子供のころ車でたまたま進行方向に虹が出たとき歓喜しましたが、進めども進めどもいっこうに近寄ることなくやがて消滅してしまったことでひどく落胆した思い出があります。また晴れた日に霧吹きを何度も思いっきり吹いて小さな虹を作りだしたものの、翌日耳下腺が腫れた記憶もあります。突然自然が作り出すこのダイナミックなショーには大人になった今でも足を止めさせられます。
かと思えば今日はあの熊本地震から1年です。人を感動させておきながら、どん底に突き落とすのもまた自然の力で、所詮人間がかなうわけはありません。しかし復興は人間の力で行うものですから、東日本も熊本も時折出現する虹を見て幸せが訪れるよう早く立ち直ってほしいですね。
みんなのジャズ
考えてみればこのBGMがジャズのお店なんてよくある話です。うちの病院も実はUSENでジャズスタンダードのチャンネルを利用してます。フレンチやイタリアンのレストランでさえシャンソンやカンツォーネではなく普通にジャズが流れてますよね。
ではなぜ牛タンのお店がジャズボーカルを使い、いろんなお店でジャズがで流れているのでしょう。私が初めてジャズを意識したのは小学校低学年の時、テレビで『素晴らしい世界旅行』という番組の中で流れた「Take Five」 というナンバーです(聞けばだれでも、ああこの曲ね、とわかります)。当時は西郷輝彦、舟木一夫、橋幸夫が当たり前の時代に子どもながら「なんだろこの曲は!」とテレビにくぎ付けとなり、曲名だけは忘れないように何度も「ていくふぁいぶ、ていくふぁいぶ…」と暗唱したのを覚えています。なに気取ってんのよ、とお思いでしょうが、ほとんどの皆さんは日本人でありながら、いろんなシチュエイションのBGMとして日本由来の民謡や演歌ではなく、ジャズのほうを圧倒的に受け入れているはずです。もちろんクラッシクやイージーリスニングも支持はされていますが。
学生時代に読んだアンドレ・フランシス著 (前野律 訳)「ジャズの世界」という本によりますと、ジャズの起源はアメリカ新大陸に奴隷として連れてこられた人たちが、自分たちを励まし慰めるために生まれた楽器を使わないで歌う黒人霊歌、と言われています。それが様々な変遷を繰り返し現在のような多彩な形になったそうです。
でも実際はよくわかりませんね。ただ心に響くいい歌が流れていて、貴方が待つ家に帰っていけたら幸せ…ですね。