院長ブログ
ピアノと入れ歯の味加減
コンクールでは若いピアニストたちが演奏を競い合うわけですが、そこではもう一つの戦いがあったのです。まずピアニストたちは自分が演奏するピアノをその会場で選択しなければなりません。そこに用意されていたピアノはカワイ(日本)、ヤマハ(日本)、ファツィオリ(イタリア)、スタインウェイ&サン(米国)の4台でした。『ん?ピアノって世界にこの四つしかなかったっけ?』と思いながらもそこに日本のメーカーが2つ入っていることに驚きました。で、これらのピアノのメーカーはピアニストたちに試弾させ、自社のピアノを選択してもらうことに全力を注ぎます。そしてもしそのピアニストが自分のところのピアノを選んでショパンコンクールで優勝しようものならブランドイメージがいきなりアップし、その宣伝効果は計り知れないのは言うまでもありません。そこに調律師を前面に立てたメーカー間の熾烈な競争が展開されるわけです。
プロゴルフツアー最終日の翌日、優勝した選手がゴルフクラブとともにスポーツ新聞の広告を飾りますよね。ちょうどイ・ボミ選手が毎回のように本間のクラブを持って新聞に載れば、『本間のクラブならいいスコアが出るんだ』とだれもが思うのと同じです。(ふっふっふっ・・・ゴルフはクラブじゃないと思いますが。)
さて最終選考に残ったのは10人ですが、そのファイナリストたちが選んだピアノは7人がヤマハ、3人がスタインウェイでした。これにはヤマハの面々も歓喜しましたが優勝したピアニストが選んだのはスタインウェイでした。その昔、ヤマハがピアノ造りを開始したころ世界の嘲笑を浴びていたそうですが、それを考えれば隔世の感がありますがやはり甘くはありませんね。でもいつかは日本のピアノで演奏したピアニストがショパンコンクールで優勝する日は確実に来るでしょう。
ところで、ヤマハのピアノを主導したトップ調律師はインタビューで『ピアノの塩梅(あんばい)が・・』(字幕)と語ってました。これを見て私は「えーっ!! あんばいって宮城県の方言じゃないの―っ!!」と絶叫してしまいました。しかも漢字で『塩梅』と書くとは・・・!日々患者さんとのコミュニケ―ションは自然に行うことを第一に考えているので、方言でお話しすることはかなり多いです。たとえば入れ歯の患者さんには「入れ歯のあんばいはどうだったですか?」としょっちゅうお聞きしますが、てっきり方言だと思ってました。そもそも宮城県北ではちょうどいいことを『や(あ)んばいだね』と言いますからね。
調律師によって厳密に調律されたピアノがピアニストに選ばれて快く演奏してもらうということは、歯科医師が丹念に製作した入れ歯を患者さんに快適に使ってもらうことと全く同じです。真冬のポーランドで大粒の汗を流しながら仕事する調律師のプロとしての姿を見て、自分も歯医者として気合を入れなおしました。
歯科医師の使命⑨
従来生徒への歯科教育はあまりされておらず、健診で『君にはむし歯があるよ』と宣告されると、ひたすらむし歯を治しに歯医者に行くしか取るべき方策がありませんでした。重要なのはむし歯とはなんなのか、どうすれば予防できるのかをまず生徒たちに理解させ、むし歯をつくらず歯医者にかからないことです。もし不幸にしてむし歯ができたら迅速に治療をするというのが本筋ではないでしょうか。『こうすればむし歯や歯周病の予防ができるんだよ』と言われれば対策の取りようもあるし、もしむし歯ができてしまっても改善のモチベーションは上がるはずです。ただし歯科医院はむし歯や歯周病予防の役目の一翼を担っていますので、歯科医院にまったく通院しないということはあり得ませんが。
さてその講話は年1回ですから内容的には限られますので、要点を狭めることでインパクトを強くするようにしています。また年1回、3年間ですので3話完結にすることによって卒業まで必ずすべての話が聞けるようにしています。3回の主な内容は ①歯の病気と健診の内容について ②歯と食べ物 歯磨きの仕方 ③歯と全身とのかかわり 歯とスポーツ です。今年は②の内容でした。
さて毎度のことですが歯科講話を始めたころの瀬峰中学校の生徒数は3学年で300名弱でした。ところが現在は150人に足りません。昨日は体育館に入場したときバスケットコート2面もとれるほどの広さに、ひとかたまりの生徒さん達がいましたが、あまりの不釣り合いに「居残りの生徒だけしか来ていないのかなあ?」と思うほどでした。校長先生のお話では『この学校だったら最大300人位まで生徒を受け入れることは可能です。』とおっしゃってました。何とか瀬峰地区の生徒さんが少しでも増えてもらいたいですね。
歯科医師の使命⑧
ただ生命の期限が延びても生体の諸器官の期限まで伸びているわけではありません。人間の一生は健康な時期からやがて介護が必要な時期へと移って行きます。厚生労働省の日本人の平均寿命は男性80.50歳、女性86.83歳ですが、平均寿命と健康寿命には男性で約9歳、女性で約12歳の差があるそうです。つまりその9~12年の間は何らかの生活制限があり、人の手を借りなければ生きてゆけない(要介護の状態)ということになります。服部先生の話から、さらにその中間は「フレイル」と呼ばれる時期であり、健常な状態と要介護状態との中間の状態 と定義されているそうです。そして人間をいかにこの期間に止めておくか、あるいはこの時期の前の段階(健康)に止めておくかが大きな課題です。とりわけ認知症への対応がひとつの大きな問題となります。認知症の発症を完全に抑制することは極めて困難ですが、発症を遅らせたり進行を抑えることは可能です。ですから歯科医師にとって口の中の健康を維持させることによって健康寿命をできるだけ伸ばすことが大きな役割です。
もう一つ大事な話として、歯科医師と認知症の患者さんとの関わりのなかで難しいことのひとつに治療の意思の確認があります。治療の意思がないのに歯科治療を進めるわけにはいきません。通常は家族などの同意を得て治療を行いますが、逆に家族の都合で家族に拒否される問題も発生します。認知症を発症する前に臓器提供のように意思の表示ができればいいですがまさか一本一本の歯の治療の可否まで表示するのは不可能でしょう。でも認知症だからといって治療を進めなければさらに症状が進行します。医療の現場の人間としては必ず直面する大きな問題です。
またフレイルにはフレイル・サイクルというのがあるそうです。フレイルにいる人が悪条件を繰り返される事によりやがて要介護へとどんどん進む悪循環のことです。主な現象として認知症の場合低栄養になりがちになり、低栄養は認知症を進行させ、するとまた低栄養になり・・・というのが一つのフレイル・サイクル(悪循環)です。人の栄養摂取には口腔内の各器官が関与しているわけですから我々の責務は重大だということです。
「泥」と「底なし」の違い
小学校の低学年だった頃のある日、雨上がりの下校時帰り道はぬかるんでいて校門を出てすぐの道端は『泥』になっていました。そこに一年生の女の子が面白半分で長くつのまま入り込み足が抜けなくなってしまって立ち往生してしまいました。一緒にいた同級生がすぐ先生を呼んできて大泣きしていたその女の子を助けたのを今でも覚えています。それを思い出すにつけ泥沼というのが存在するのであれば、入り込んだらなかなか出られないところだというイメージを持っていました。
それとこれも古い話ですが1985年ころに見たワーナーの『ネバーエンディング・ストーリー』という映画の中で、劇中劇の少年の愛馬が沼に入ってしまってどんどん沈んでゆくシーンがありました。その時「これが底なし沼というものか」と思ったものでした。しかしなぜいずれも『沼』なのでしょう。たぶん『池』や『湖』よりもより神秘的、不思議な、物語的なニュアンスがあるからなのでしょう。
さて楽天です。以前のブログでも書きましたが、今江も入団したので故障者さえ出なければいいところまで行くだろうと書きました。ところが松井(稼)、藤田、辛島、おまけにその今江までケガで離脱しました。それでもそれぞれ復帰後何とか持ちこたえようとしましたが、ほかに大きな誤算がありました。中継ぎ投手陣の破綻です。ここまでの総失点の約25%は7回に集中しているというデータがあります。7回の担当投手は福山、青山あたりです。彼らは昨年大車輪の働きで多くの試合に出てはホールドポイントを稼ぎました。しかしホールドは勝っていても負けていてもつくので抑えのように勝っている試合ばかりに登板するわけではありません。つまり昨年二人は登板過多ではなったのかと言われています。それが今度は今シーズン40セーブを稼ぐと宣言した松井(裕)にも伝染してしまいました。チーム全負け数の半分以上がこの三人で占めているということが今の楽天の中継ぎと抑えの弱さを物語っています。梨田監督は就任当初松井(裕)の抑えに関しては否定的でした。それは投げ過ぎにより投手生命の寿命を縮めるからということからでした。巨人の中継ぎの絶対的エース山口はかつての凄さは鳴りを潜め今シーズンはよく打たれています。いくら鉄人と言われてもあんなに登板したんではダメになるのも当然のような気がします。中日の岩瀬みたいに投げまくって引退近い年齢で通用しなくなるなら別ですがねえ。
5月25日現在8連敗中ですがその間の総失点がなんと63点です。これでは点数をとってもとっても勝てません。ロッテ戦では12点、8点とったのに逆転され連敗でした。そしてついに先発投手まで打たれはじめています。とどめは嶋の骨折離脱。ついでに伊志嶺も。8連敗で各新聞には『泥沼』の文字がいくつも踊っています。楽天の野村元監督は『負けに不思議の負けなし』と言っていました。つまり負けるのは負けるべくして負けるわけです。野球の負けには『沼』のニュアンスにある神秘や不思議なんて微塵もあるわけないのです。早く泥沼から脱してほしいですね。底なし沼になる前に。
芸術家で発明家
しかし奥に進むにつれ明らかになったのは、もう憶測でしか計り知れないダ・ヴィンチの幻の一大作品の仰天エピソードだったのです。ダ・ヴィンチは様々な名画を創作し名声を築き上げたのち、1504年にフィレンツェ共和国から政庁舎の大会議室「500人大広間」に『アンギアーリの戦い』を壁画として描くよう依頼されました(相当大きい大作だったみたいです)。しかしダ・ヴィンチが独自の技法にこだわったため壁画は失敗、途中で頓挫し完成をあきらめてしまいました。やがて多くの画家が未完成のこの壁画を模写したものの、約50年後会議室の改装とともにダ・ヴィンチの壁画の上にまったく別の壁画が描かれてしまいました。ですからこの幻の壁画を知る手掛かりはこれを模写した他の画家の作品で想像するしかないと思われていました。
もう一つ感嘆したことは、ダ・ヴィンチは絵画だけではなく、とにかくあらゆる分野で大きな功績を残したのは有名ですが、展示されていた発明品の中で焼肉にまんべんなく火が通る焼肉装置というのがあったことでした。500年前のことです。