院長ブログ
温故知新
さて横浜の学会に参加した後は、最終の新幹線で帰ってきました。新幹線は楽に超速で宮城県まで送り届けてくれます。最終なので車内の皆さんはゆったり眠ってるようです(写真1)。しかし子どもの時みんなそうだったように鉄道少年だった自分にしてみれば、早くて便利になったのはいいけれど何か物足りません。子どもの頃の鉄道の旅といえばまず鈍行列車。それも擬人化した蒸気機関車が引っ張る客車です。早くなったり遅くなったり、いちいち汽笛を鳴らし蒸気の音を響かせ、窓を開けると煙やススが押し寄せる。ちょっと鈍間になったアラジンのジーニーって感じでしたね。
座席から見る汽車の窓は、今で言えばテレビの画面で風景は動画でした。駅に着けば窓が手で開けられて駅弁とかオヤツが買える。気仙沼から仙台に行くときはなぜか一ノ関あたりでゆで卵を買い、小牛田で小牛田まんじゅうを買うというのが我が家の決まりでした。夜になると客車はオレンジの白熱電球で薄暗く、車窓の外の家の明かりがよく見えました。蒸気機関車には人格を想定してますから、蒸気を吐くリズムが遅いと「もっとがんばれー」と応援するというか、間違いなく子供の旅の主役でした。
詩人、萩原朔太郎の『歸郷』という詩には、彼が絶望の中故郷に汽車で帰る様子が描かれています。高校の現代国語の先生が『蒸気機関車の描写が朔太郎の心情をそのまま表している。この詩の表現の仕方はすごい。』と教えていただいたのを覚えています。やはり蒸気機関車には風情がありますね。
しかし山形新幹線が新規開業した時、JR東日本のCMに使われた曲が井上陽水の「結詞」で、東北の素朴な汽車の旅をイメージさせる秀逸な曲だと驚きましたが、今思えば新幹線では旅情をあまり感じないのでテイスト違いですけどね。
ついでに朔太郎の『夜汽車』という別の詩の最後の行に、汽車の窓から「をだまきの花が見える」とありますが、よくレール沿いの花を眺めていたのも覚えています。残念ながら新幹線の場合はあまりにも速すぎて風景は流れるし、手前は防音壁のコンクリートしか見えませんし(写真2)。
早くて快適な「はやぶさ」もいいですけど、よかったなあ昔の大船渡線は---。