院長ブログ
帰去来(Ⅱ)
ゴールデン・ウィークは気仙沼に行って来ました。自分の生家のあった周辺と内湾の名物建造物であった気仙沼女子校校舎跡に災害復興住宅ができたと言う事でそれを見て来ました。さすがに復興住宅は仮設住宅とは違いマンション形式でスマートなうえ頑丈そうでした。ただ全ての部屋が埋まっているようでは無いので、これほど家が失われているのにみんなどこへ行ったんだろう、この辺に住んでいた人たちは帰ってくる予定があるのだろうかと懐疑的な気持ちでした。
天気が良かったので子供の頃よく遊んだ裏のお墓山に登り、そしてのどが渇いたときはよく水を飲みに来た菩提寺である法玄寺から船着場周辺の市街地を見下ろしました(写真)。その様子は気仙沼の内湾の象徴とも言えた街並みが更地状態を呈し全く新しい街のイメージが想像できない景観でした。
その次に、いま大きな話題をさらっている気仙沼大島の架橋を見に行きました。と言っても近くまで行ったわけではなくアーチが見える鹿折の鶴ヶ浦方面あたりまでです。大島架橋は内陸と島のもっとも至近距離の地点に建設されています。そこは街からは結構遠いのですが巨大なのでよく見えました。もともと50年以上前から市民(島民)の夢でしたが、なかなか思う様に話が進まず、地元選出の国会議員さんの努力もあり実現に向けて話が進んでいました。そこに震災が降りかかり復興を旗印に三陸縦貫道とともに一気に工事が加速したようです。
もう一枚の写真がその大島架橋の遠景ですが、手前に見えているのは実は大津波対策としての工事中の防潮堤です。こんな広い海に何メートルもある高さの防潮堤を建設することの方がよほど果てしない夢のような気がします。そして震災の津波で失われた地域が復興するのはいつになることやらと、その将来像は遠くに見える架橋のアーチのさらにもっと遠くにある印象でした。