院長ブログ

2016-12-08 09:04:00

帰去来 (かえりなんいざ)

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 12月4日の日曜日は故郷の気仙沼に行ってきました。瀬峰から車で出発しましたので佐沼を通り、今はもうないJR気仙沼線の大谷駅を横に見ながら進みましたが、海岸沿いにはやらたらとショベルカーやクレーンばかりが目につきました。さらに階上まで進むと、それらの重機が数多くみられるばかりでなく、重機の販売店や展示場までがあるではないですか。それほど需要があるのかと驚き、5年たった今も延々と復興工事が行われているのだと思い知らされた次第です。さて気仙沼市内に入り内湾地区つまり自分の生家があった地域に近づくとその驚きは落胆に変わりました。倒壊した多くの家屋は確かにきれいに取り除かれていたものの、大半が更地のままでした。ところどころ鉄筋の建物は残っているものの『ああこれってどっかで見たことあるなあ』と思ったのは、第二次世界大戦の仙台大空襲で焼け野原になった時の写真のことを思い出したからでした。そして道路には秩序はなく、盛土もバラバラ。新しく作ってる道路と被災したままの道路が混在し、舗装もされていない道路に出たかと思えば道路標識も見当たりません。むかしは主要な建物を目印にして走行していましたが、ほとんど更地になっていますからどこをどう走っているのか全く見当がつきません。5年半たってこれではいつになったら街の姿が見えてくるのでしょう。ほんとうに限られた人数と時間と財政でこんな悲劇的な街の改修を、大自然から押し付けられた市や行政にはひたすら敬服し同情するしかありません。
 そもそも被災から逃れた人たちはこの土地に戻ってくるのでしょうか。このような危険な地域に集落を作って豊かなつもりで暮らしていた我々が甘かったのでしょうか。しかし津波が来ればひとたまりもない、本当は住むべきではなかった土地かもしれませんが、ここで生まれ育った人間にして見れば大事な故郷ですから一刻も早くかつての興隆を取り戻してもらいたいですね。